尾瀬歩きつくし

2015.1.15 田中 良也  髙田 耕造

 まちだパソコンサークルでは例会でレクチャーと称して会員が何かの話題を提供していました。ひょっとしたことから毎年尾瀬に行くことになり、7年も続きました。共同発表者の髙田耕造氏の快諾を得てここに転載します。

 尾瀬国立公園は2007(H19)年に日光国立公園から分かれ、会津駒ヶ岳、田代山・帝釈山を加えて誕生しました。至仏山と燧岳に挟まれた尾瀬ヶ原および尾瀬沼などから構成される区域は特別保護区域に指定されています。尾瀬沼から沼尻川として流れ出した水は尾瀬ヶ原を通りヨッピ川と合流して平滑の滝・三条の滝となって只見川に繋がっています。今は鳩待峠、三平峠、沼山峠が主な出入り口となっています。

尾瀬ヶ原から見た燧ヶ岳2008年、尾瀬ヶ原のコース

 2008年6月に、ふとしたきっかけで尾瀬に行くことになりました。まずは入門コースとして尾瀬ヶ原を選びました。ミズバショウが花盛りで、黄色のリュウキンカも加わって、楽しい旅になりました。これから毎年訪れるとは思ってもいませんでした。
 この年は7月に別の友人と会津駒ヶ岳から尾瀬沼のコースも歩きました。尾瀬紀行2008はその時の記録です。

2009年、アヤメ平のコースアヤメ平に向かう途中でのスナップ

 2009年は鳩待峠からアヤメ平に上がり、尾瀬ヶ原に降りて平滑(ヒラナメ)の滝、三条の滝を見学してから、燧ヶ岳の山麓を回って尾瀬沼に出るコースでした。写真はアヤメ平に向かう途中で、後ろに至仏山が見えます。

至仏山頂での記念写真2010年、至仏山のコース

 2010年は至仏山(2228m)に登りました。鳩待峠から小至仏を経て至仏山に至ります。遠くから見るとなだらかですが、近づくと岩山で傾斜もあり大変でした。頂上からは尾瀬ヶ原が一望できます。ここから原へまっすぐつながる道は危険で崩れやすく登りのみになっています。

2011年、燧ヶ岳のコース燧ヶ岳山頂での記念写真

 2011年はまさかと思っていた燧ヶ岳(2356m)へ登ることになりました。少し前の豪雨で登山道は荒れていて、難渋しました。やっとの思いで頂上に立つことが出来ました。この道は現在閉鎖されています。

裏燧林道でのスナップ2012年、裏燧林道のコース

 2012年は、秋の尾瀬を楽しもうと燧ヶ岳の北をたどる裏燧林道でした。この年から檜枝岐からのアプローチとなりました。尾瀬ヶ原の草紅葉も見事でした。霧に隠れた山が次第に姿を見せるショーもあって大満足しました。

霧が晴れて姿を現した至仏山檜枝岐、農村歌舞伎の舞台

 左は霧が晴れて姿を現した至仏山を背景にパチリ。静かな尾瀬です。
 檜枝岐は農村歌舞伎で知られています。神社の境内が斜面になっていて、そこが観客席になっています。村の人たちが300年になろうとする伝統を守っています。

2013年、田代山・帝釈山のコース帝釈山頂での記念写真

 2013年は田代山・帝釈山を目指しました。オサバグサが有名で、春のシーズンには臨時バスがありますが8月にはないので宿の車で登山口まで送ってもらいました。下山口にはタクシーのお出迎え。湯の花温泉に泊まって竜王峡に寄りました。

会津駒ヶ岳頂上での記念写真2014年、会津駒ヶ岳のコース

 2014年は会津駒ヶ岳に挑戦しました。始めがキツくだんだん楽になる山です。湿原の高山植物ははずれでした。大津岐峠への道は見かけに反して岩道の上り下りがあって苦労しました。翌日は尾瀬沼を経由して帰途につきました。これで満願成就です。

ニッコウキスゲが一面に咲いている

 鹿の食害かニッコウキスゲが一面に咲いているところが少なくなりました。4年目に大変な思いをして登った燧岳をバックに写真を撮り別れを告げました。 →「尾瀬だより2011」も参照して下さい。

7年間の軌跡

 7年間の足跡を重ねました。主なコースはすべて歩いたことになります。

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