クルーズタイトル

ロビンソンクルーソー島、バルパライソ

ロビンソンクルーソー島

ロビンソンクルーソー島2ロビンソンクルーソー島1

 5月3日10時頃、ロビンソンクルーソー島に接近、手前にサンタクララ島(左)が見える。背後にロビンソンクルーソー島が見える。かなり大きな島で、181平方Km、殆ど草も木も生えていないような岩肌が続いている。船はマップの左下から時計回りに右上に進んだ。海岸も垂直に近い切り立った崖がそのまま海に入っている。かつてこの島に置き去りにされロビンソンクルーソーの物語のモデルになった船員がいたというのが信じられない。

ロビンソンクルーソー島3ロビンソンクルーソー島マップ

 船が進むとカンバーランド湾(左)が見えてきた。地形がややなだらかになり100棟くらいの建物が集まっている。この付近にだけ樹木も見られた。上陸するとしたらこの場所しかないと思われる。湾を過ぎたところで、Uターンして戻った。うろうろしているにっぽん丸に現地の港湾から問い合わせがあったが、趣旨を話すとWelcomeとの返事があったと船長のアナウンスがあった。

バルパライソ

 5月4日11時、甲板に出てみると眼前にバルパライソの市街が大パノラマとして広がっていた。すばらしい眺めにしばし見とれた。Valparaisoとは「天国の谷」の意味。11時30分頃プラット埠頭(Muelle Prat)に着岸。

イキケ海戦の英雄アレグレの丘からの眺め

 正面に見えるのがソトマジョール広場(Plaza Sotomajor)。この広場に面して海軍司令部があり、広場にはイキケ(Iquique)の海戦(1879)における英雄をたたえた記念塔が建てられている。ここは大阪港と姉妹港となっている。

午後から「バルパライソ半日観光」ツアーに参加。バルパライソの町は丘の斜面に広がっていて、埠頭の前のコンセプシオンの丘(Cerro Concepcion)、アレグレの丘(Cerro Alegre)、コルティジェーラの丘(Cerro Cordillera)がその素晴らしい眺めで2003年世界遺産に指定されている。この丘に上るためにアセンソール(Ascensore)というエレベータが全部で3台設置されているとのこと。(写真左:イキケ海戦の英雄記念塔 右:アレグレの丘からの眺め)

アレグレの丘に並ぶ土産物店花時計

 コンセプシオンの丘にあるアセンソールは1883年製。バスは国会議事堂(1990年民政移管の時首都サンティアゴからここに移された)、バルパライソ大聖堂(Igresia de Valparaiso)、ソトマジョール広場(Plaza Sotomajor)を廻って「5月21日展望台(Paseo 21 de Mayo)」で下車、しばしバルパライソの展望を楽しんだ。その後、向こうに見える岬、チリ随一のリゾート地、ビーニャ・デル・マル(Vina del Mar)に向かった。町の入り口には花時計(Reloj de Flores)が作られている。(写真左:アレグレの丘に並ぶ土産物店 右:花時計)

フォンク博物館通りかかった高校生

 キンタベルガラ公園(Parque Quinta Vergara)から市の中心部に入り、ベルガラ広場(Plaza J. F. Vergara)を見てフォンク博物館(Museo Fonck)で下車。ここにはMapche族など先住民の生活の様子や歴史が展示されている。2階には昆虫や鳥の標本がある。ちょうど高校生が来ていて女の子のスカート姿は日本とそっくり。話しかけてみたけれど英語は通じなかった。リゾート地だけあってHyattホテルが立ち並び、市営カジノ(Casino Municipal)もある。残念ながら寒流が流れていてマリンスポーツには向いていない。(写真左:フォンク博物館 右:通りかかった高校生)

サンティアゴ

カサブランカ渓谷のブドウ畑峠からの眺め

 5月5日、「サンティアゴ一日観光」ツアーに参加。バルパライソの丘を上って、しばらくなだらかな起伏が続き、マツやユーカリの高木が見られる。やがて高木は姿を消し、3,000m級の対岸山脈を2つのトンネルで抜けるとサンティアゴの町になる。途中、カサブランカと呼ばれる地域ではブドウの栽培が盛んで、ワイナリーも数社進出している。棚づくりのブドウ畑は生食用のマスカットを栽培している畑との説明があった。

 バルパライソの郊外では山の麓に新しい住宅街が目立つ。4LDKで800万円くらいだとか。所得水準からすると相当な高額らしい。また、自動車は最近韓国の会社の進出が目立ち、中国の会社も入ってきいる。中国産の車の信用度は低く、日本産の車が一番レベルが高いと評価されているとか。(写真左:カサブランカ渓谷のブドウ畑 右:峠からの眺め)

バス停大統領宮殿-モレラ宮殿

 今走っている68号線の下にはメトロ1号線がある。そうこうするうちにサンティアゴ中央駅(チリ中部・南部に向かう電車のターミナル)の大きな屋根を見、アラメダ通りを進んで旧市街に入り、大統領宮殿(モネダ宮殿 Palacio de La Moneda)で下車。モネダとはコインのことで、かつては鋳造所だった建物。ここの広場が「憲法広場」、周りに財務省、外務省、国営新聞、司法省の建物が並んで、日本なら霞ヶ関。何となく警備の兵隊が多い(といっても日本と比べたら僅かな人数)。大統領または政府高官が来ているらしい。因みに今の大統領はミシェル・バチェレ、チリ初の女性大統領、圧倒的な支持率を得ているとのこと。(写真左:バス停 右:大統領宮殿-モネダ宮殿)

先住民の記念碑社会見学の中学生

 旧市街は京都のように道路が整然と造られているが、狭く一方通行になっていて不便だとも。近くのアルマス広場(Plaza de Armas)に移動して再び下車。この広場は木が植えられ、市民の憩いの場となっているように思われた。周囲にはカテドラルをはじめとして中央郵便局、裁判所、市役所が並んでいる。広場の一角にサンティアゴを建設した(1541~)ペドロ・デ・バルディビア(Pedro de Valdivia)の像があるが、先住民にとっては屈辱の歴史であり、広場の対角には先住民記念碑が建てられている。中央には独立記念碑があり、先生に引率された中学生?が説明を聞いていた。そばにチリの基準点となる「0Km」のプレートが埋められている。カテドラルの上に立つ3体の像は左からヤコブ、聖母マリア、カルメで、ヤコブのチリ名がサンティアゴとなるとの説明があった。(写真左:先住民の記念碑 右:社会見学の中学生)

サンチアゴの新市街土産物の屋台

 再び乗車してサンクリストバルの丘(Cerro San Crist?bal)を目指す。車窓から中央市場、旧マポーチョ駅(30年前に廃線)、国立美術館を通り、マポーチョ川(Rio Mapocho)沿いに上流にある新市街に向かう。サンクリストバルの丘のゲートをくぐって少し上ると日本庭園(Jardin Japon?s)がある。政府の要人などが利用するらしい。その前を通過して展望台へ。目の下に新市街のビル群が広がっている。遠くにアンデスの山並みが淡く見える。チリでは4,000mを越えないと山扱いをしないという。見えているのはかろうじて「山」になるが、それでも既に雪をかぶって白い山容である。日本では11月に相当するわけだから当然かもしれない。この近くのレストランで昼食。メインディッシュは魚(石鯛に似た)とスパゲッティ。我々のために量は少なくしているそうだ。サンティアゴはスモッグがひどく、問題になっているとかで、クリアな眺めが期待できない。それでも今日はきれいに見えてラッキーだと言われた。(写真 左:サンチアゴの新市街 右:土産物の屋台)

アンデスの山並み新市街の向こうにアンデスの山並みが

 丘を下って、ロス・レオネスゴルフ場(Club de Golf Leones)、Grand Hyatt Santiagoなどの脇を通りロス・ドミニコス民芸品村(Pueblo Los Dominicos)へ。もともと隣にあるロス・ドミニコス教会(Iglesia de Los Dominicos)の修道院だったところで、それぞれの店が自分で作った物を売っているという。奥まったところまで多くの店があり、統一性はなくそれぞれの個性で商品が並べられている。ツアーでよく立ち寄る土産物店と違って押しつけがましいそぶりはなく、気楽に見て回ることが出来る。(写真 左:アンデスの山並み 右:新市街の向こうにアンデスの山並みが)